死の貝
以前このブログでも触れたことがある「日本住血吸虫症」。100年以上かけてこの奇病を克服する様子を一冊にまとめたノンフィクション「死の貝」を読む。
日本住血吸虫症は山梨県、広島県、福岡県、佐賀県の特定地域で流行していた風土病。感染末期には腹が膨れ、寝たきりになりやがて衰弱死する恐ろしい病気でした。
最もひどい流行地であった甲府盆地ではこのような悲しい口承がありました。
「水腫脹満 茶碗のかけら」
(この病気に罹ると割れた茶碗と同じく元には戻らず死ぬのみ)
「竜地、団子へ嫁に行くなら、棺桶を背負って行け」
(流行地へ嫁げば死ぬから、棺桶を持参しなさい)
日本住血吸虫症は日本住血吸虫が寄生することで発症しますが、直接人に寄生せずミヤイリガイを中間宿主として感染します。これにより当時の医学で原因を特定することは困難を極めていました。
そんな中、末期患者であった 杉山なか は原因特定のため、当時は大変珍しかった死後の解剖を希望する。「なぜ甲州の民はこのようなむごい病に苦しまなければならないのか。私が死んだら体を開いてください。」
流行地の住人やその子孫、熱意ある医師達が膨大な時間と手間をかけ、日本住血吸虫症を克服していく物語。
山梨県の場合、日本住血吸虫症との戦いは県へ対策願いが出された1881年に始まった。1996年に山梨県は安全宣言を出しますが、なんとそこまで115年もの年月がかかっている。その苦労は想像を絶します。
なぜ隣県の長野県では発生しなかったのか。たまたまなのかもしれませんが、もしこの病気があったら自分は産まれていなかったかもしれない。隣県であった、このような歴史を自分は最近まで知りませんでした。ぜひ多くの方に知って欲しいと思います。
山梨県はぶどうや桃が有名なフルーツ王国。それは中間宿主であったミヤイリガイを撲滅するために、田んぼから果樹園へ転作を奨励したことも一因です。
美味しい果物はこの病気と闘ったアンサングヒーロー達からの贈り物でもありました。
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